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「お山のような人になりたい」 日本でも屈指の難ルート・妙義山縦走を果たした女性山伏の夢
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奈良・吉野でゲストハウスの女将をしながら修験道に出合い、「誰かの幸せを祈る」ことを己の修行とする山伏としての道を歩み始めた片山文恵さん。前編では、神仏への信仰に目覚めたきっかけや、山伏になる決意に至るまでの経緯を伺いました。後編では、片山さんが修験道の実践を通して得た祈りの体験、そして吉野を離れ、群馬・妙義山へと拠点を移した理由に迫ります。厳しい自然と向き合うなかで感じた手ごたえ、そして「お山のような人になりたい」と語るその真意とは──。
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良い護摩が焚けたときは、炎が熱く感じない
――山伏として、どんなことを感じ、考えていますか?
師僧から、お山に人をお連れするのも修行のひとつやでって言われていることもあり、私はよく「お山に行こう」ってみなさんを誘います。今の世の中、誰しも何かしらに悩んだり苦しんだりしながら生きています。一度落ちるとなかなか抜けられない思考の落とし穴の中で、少しずつ余計なものが心の中に積もっていく。心も体もどんどん重たくなっていく。お山を歩くと、そんな余計なものが落ちていきます。
また、私たち山伏のように祈りながら歩くことで、お山の神仏やこの世界の不思議がじわりと体に入ってくる。そうすると意識がちょっと普段と違うところにいくんでしょうかね、お山を下りると、お山に行く前よりも心身ともに楽になるんです。
ちょっとでも楽になると、人は周りの幸せを祈る余裕ができる。目の前の人を幸せに、楽にできたら、幸せを祈り合う連鎖が生まれて、遠くにいる人まで届いていく気がしています。
それから、お山で修行をしていると自分が“消える”ような感覚になる瞬間があります。お山に存在する純粋な生命の中に、生身の体でそっと混ざらせてもらうことで、本来の命と直接ふれあえるような感覚です。
自分が消え、純粋に「ありがたいな」「美しいな」っていう気持ちだけが残っているその瞬間、本当に祈ることができているような気がしています。
また、山伏は神仏をお迎えし、みなさんの願いをお伝えするために「護摩」を焚きます。不思議なことに、良い護摩が焚けたときは、炎が熱く感じないんです。護摩の火は蓮華座(仏像や菩薩が座る台座)で、そこに神仏がいらっしゃいます。お越しになられた神仏と自分が一体になれたとき、本当に目の前の炎を熱く感じませんし、1時間くらいある護摩が体感としては15分くらいで終わります。

この現象は、理系の人間として、いつかロジカルに説明したいと思っているんですが、今のところ全然理屈がわかりません(笑)。そういう、ただある存在として大いなるものと一体になれているような感覚にいるときって、頭で考えるよりも、もっともっと深いところで納得しているのでしょうね。傍からはそうは見えないかもしれませんが、とても心地良いんですよ。
