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「私が親を守らなければ」 聴覚障害の親を持つCODA女性 幼い頃に傷ついた周囲の言葉
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「周りとは違う親」でも大好きだった
自分の家庭は周りと少し違う。そう気づいたのは、6~7歳頃です。友人宅で遊んでいると、別々の部屋にいる親子が顔を合わせずに会話する姿を見たり、当たり前のように大人が電話に出ていたりしたからです。
「私にとって両親は、“聞こえない親”ではなく、“私の親”でした。でも、周りとの違いに気づいてからは、恥ずかしいと感じるようになって。同級生の前では両親と話さないなど、できるだけ手話を使わずに過ごすようになりました」

私が親を守らなければ――。そんな思いで両親をサポートしてきた咲羅さんは、いわゆるヤングケアラーでした。一方で、両親は聞こえないという特性に関係なく、娘を深く愛し、大切に育ててくれたといいます。咲羅さんには今でも忘れられない出来事があります。
「ある日、勉強中に突然意識を失って倒れたとき、母親は肩をたたいて反応を確かめ、冷たくなった頬を何度も叩きながら、『死んではだめ』という思いで呼び続けていたそうです。その行動は聞こえる・聞こえないに関係なく、子どもの命を守ろうとする親そのものでした」
また、父親は、風邪を引いた咲羅さんがリビングで眠ってしまうと布団を持ってきて掛けてくれるなど、体調を気遣ってくれたといいます。
「愛情をたくさん注いでもらい、大切に育ててもらいました。葛藤はありましたが、両親のことは大好きでした」
