仕事・人生
国内患者わずか10人の希少難病 100社以上に履歴書を送った女性が、ウェブ制作会社の経営者になるまで
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「社会から必要とされていないのでは」 100社以上に履歴書を送った就活
念願だった、地域の中学校への進学。しかし、そこで新たな困難に直面します。
それまで同年代と関わる機会が少なかったこともあり、コミュニケーションですれ違いが生じて、いじめを受けるようになりました。さらに、奈須さんの病気を正しく理解していない一部の保護者からは「授業の進行が遅れるのではないか」「同じクラスにしないでほしい」などの声も上がったといいます。
それでも学びたいという思いは変わらず、高校も地域の普通科を選択。高校では理解ある同級生に恵まれ、アメリカ・ハワイへの交換留学や韓国へのホームステイを経験するなど、充実した時間を過ごしました。

幼い頃からゲームや漫画が好きな奈須さんは、グラフィックデザイナーやCGデザイナーになりたいという夢を抱いていました。しかし、ハードな業界事情を知り、体力的に難しいと断念します。
そこで、業界問わず一般企業への就職を目標にして、障害者雇用があり、通勤可能な企業に応募しよう決意しました。
ところが、就活は予想以上に難航。書類選考で不採用が続き、「社会に必要とされていないのでは……」と感じるほど、精神的に追い詰められていきました。
ウェブデザインを独学で勉強! 会社員から経営者に転身
それでも、100社以上の企業に履歴書を送り続けた結果、障害者雇用枠で外資系企業の契約社員に採用されました。しかし、当時すでに車いす生活になっていた奈須さんは、業務以外の場面で周囲からのサポートが必要になることも多く、肩身の狭さを感じたそうです。
当時は、自身が利用できる障害福祉サービスについて十分な情報を得られず、悩みをひとりで抱えていました。

4年半後、奈須さんは転職。人事部でウェブサイトの更新を担当し始めました。そのなかで知ったのは、ウェブデザインのおもしろさ。独学で勉強し、自作のウェブデザインをSNSで出会った仲間と見せ合うようになりました。
会社を退職し、学びを得るためにSNSへ作品を投稿するようになった頃、とあるウェブ制作会社の代表から「一緒に働かないか」とのオファーが! 奈須さんはその会社で3年間、ウェブデザイナーとして働きました。
その後、顧客や事業を引き継ぐ形で会社を譲渡され、経営者に。体調を考慮して働ける完全フルリモートは、理想的な働き方のように思えました。
ところが、その先に待ち受けていたのは、理想とかけ離れた過酷な日々。経営者として働く一方、日常生活では必要な介助を受けられず、大きな負担を抱えることになったのです。
後編では、奈須さんが直面した試練や、働きながら必要な支援を受けられるようになるまでの道のりを詳しくお伝えします。
(古川 諭香)
