仕事・人生
耳が聞こえない女優 何度も夢を諦めた過去も 50歳になっても輝き続ける生き方とは
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短大卒業後は銀行に就職 「自分に合う職業」を悩み続けた
私の両親は聴者ですが、私は子どもの頃は聞こえないことにあまり引け目を感じたり、悲しんだりせずに育ちました。父が全日空に勤めていたので、家族旅行でよく飛行機を利用していてCAさんに憧れたり、絵を描くのが好きで漫画家を夢見たりしていました。
でも、ろう学校の先生に「あなたは聞こえないから無理よ」と教えられ、何度も夢を諦め、だんだん夢を持たなくなっていきました。短大を出てからは、銀行に就職し事務の仕事に就きましたが飽き足らず、「自分に合う職業は何だろう」とずっと悩んでいました。
そんな時、28歳で『アイ・ラヴ・ユー』のオーディションを受けたんです。その頃、ちょうど『星の金貨』(日本テレビ系)など、ろう者が主役の連続ドラマが放送されていました。ドラマでろう者が取り上げられるのはうれしいものの、なぜかろう者は孤独で暗くかわいそう、という設定が多く、「そんなことはないのになあ」と違和感がありました。
それも、映画『アイ・ラヴ・ユー』に挑戦した理由です。『アイ・ラヴ・ユー』はろう者と聴者が一緒になって、ろう者のありのままの世界を描いた作品だったので、ろう者の本当の姿を伝えられるのではないか、と思ったのです。それまで、女優は私にとって“聞こえる人がやる職業”で、初めからやりたい職業の候補に入ってさえいなかったので大転換。演技を始めてみると、いろんな感情を表現する女優というお仕事は、難しいけれど本当に面白いと思っています。
結婚への不安から一度は破局 30代で復縁し結婚へ
39歳の時、舞台で共演した俳優(三浦剛さん)と結婚しました。結婚前の交際中、実は一度、別れたことがありました。半年ぐらい交際した時、私からお別れして。なぜかというと、ろう者はろう者同士で結婚する人が多く、ろう者の女性と聴者の男性の夫婦は少ない。結婚してもうまくいかなくなるとよく聞いていたからです。
だから、「今は恋愛中で楽しくても、いずれ別れるんじゃないか、人生をかける結婚と恋愛は別じゃないか」と思ったんです。別れて6年後に再び交際することになると、お互い30代で若くはなかったので、私たちよりお互いの両親の方が、結婚に対して前のめりでした(笑)。特にお義父さんは偶然にも私のファンだったので、彼が私と結婚すると知ったらすごく喜んでくださいました。
夫との結婚に対する不安を乗り越えられたのは、夫が手話を学んでくれて、手話でコミュニケーションを取ろうとする姿を見ていて、心から信じることができたから。昔は手話に対して偏見を持つ人も少なくありませんでしたが、私たちろう者にとって手話は自然なコミュニケーション方法。夫が手話を学んでくれることで、私と手話で会話を楽しみたいと思ってくれている、という気持ちを信じることができたのです。
国際結婚するカップルも似ているのではないでしょうか。日本人とアメリカ人が出会って相手と話をしたい、と思ったら、お互いの言葉に興味を持ち、学んで、話そうとしますよね。その気持ちがないと、交際はもちろん結婚はうまくいかないと思います。