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仕事・人生

耳が聞こえない女優 何度も夢を諦めた過去も 50歳になっても輝き続ける生き方とは

公開日:  /  更新日:

著者:中野 裕子

子育ては夫婦で協力 産後3か月で仕事に復帰

忍足亜希子さんの一人娘、優希ちゃん。父・三浦剛さんとともに映画『ある家族』に出演している【写真:荒川祐史】
忍足亜希子さんの一人娘、優希ちゃん。父・三浦剛さんとともに映画『ある家族』に出演している【写真:荒川祐史】

 結婚して3年で、一人娘に恵まれました。私は元々「何とかなる」と考えるタイプではあるのですが、出産の際には不安もありました。予定日に夫が地方公演でいない予定だったので、お医者さんや看護師さんとうまくコミュニケーションが取れるかな、と。

 そこで、「息を吸って」「吐いて」「いきんで」などと書いたパネルを用意してもらいました。出産が少し早まり、ギリギリセーフで夫が立ち会い出産してくれたので結局、パネルは使わなかったのですが、知恵を絞れば何とかなりますね。

 それに、産まれてくる子どものことを思い、ワクワクすれば、出産の時を喜びで迎えることができると思います。子育ての難しさについても、例えば、私は子どもの泣き声が聞こえませんが、今は赤ちゃんの泣き声に反応して光る、一般向けのランプも発売されているので乗り越えられました。

 私たち夫婦は“犬も食わない”ケンカを、たくさんしながら暮らしています。たぶん、どこの夫婦も同じですよね。それでも家族としてやってこられたのは、性格が反対なのも良かったのかも。私はよく天然と言われるのですが、夫はとてもきちんとした性格なんです。だから、お互いが補い合える。例えば、私はスケジュール管理が苦手なんですけど、夫がしっかりやってくれます。家事は私が得意。料理をすれば、夫は何でも「おいしい」と言って食べてくれます。

 子育ては両親で協力してやる必要がありますね。娘の優希が赤ちゃんだった時は、昼間は私が優希を見て、夜中は舞台の後に飲んで遅く帰っても、夫がそのまま寝ずに起きて優希にミルクをやったりおむつを替えたりしてくれました。おかげで、生後3か月ぐらいで取材を受けるなど、仕事も早く再開できました。助け合える人に出会えて、本当に良かったなと思います。

◇忍足亜希子(おしだり・あきこ)
1970年6月10日、北海道千歳市生まれ。本名:三浦亜希子。4歳の時聴覚障害があることが分かり、横浜市に転居しろう学校へ。青葉学園短大卒業後、横浜銀行に5年勤務。97年、手話の先生の紹介で『ノッポさんの手話で歌おう』(NHK教育)でデビュー。99年、映画『アイ・ラヴ・ユー』の主役で女優デビューし、第54回毎日映画コンクールスポニチグランプリ新人賞や第16回山路ふみ子福祉賞などを受賞。09年、舞台「嵐になるまで待って」で共演した俳優・三浦剛さん(45)と結婚。12年、長女・優希ちゃん(8)誕生。21年5月、映画『僕が君の耳になる』公開予定。また、家族エッセイ「我が家は今日もにぎやかです。」(アプリスタイル)出版予定。

(中野 裕子)