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美馬アンナさんが共感する義肢装具士の想い 「自分の作ったもので他人の人生が変わる」
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義肢装具士の中村隆さんとの対談・最終回「こんな尊い仕事はない」
プロ野球の千葉ロッテマリーンズで活躍する美馬学(みま・まなぶ)投手とアンナさん夫妻は、2019年に第1子となる男の子「ミニっち」を授かりました。ミニっちは先天性欠損症のため右手首から先がありません。出産当初は予想外の現実に戸惑い、混乱したアンナさんですが、今では「私たち夫婦を選んで生まれてきてくれた」と笑顔で胸を張ります。
アンナさんは同時に、ミニっちを授かったことで今まで持たなかった視点が生まれ、見えなかった世界にも目が向くようになったそう。そこで「私たちに与えられた使命は何だろう?」と考え、美馬投手のサポートを受けながら、野球やスポーツを通じて健常者と障害者をつなぐ活動をスタートさせました。
この対談シリーズは、アンナさんが活動をより具体化させるためのヒントと学びを得るためにスタート。シリーズ第3回は、国立障害者リハビリテーションセンター(以下国リハ)で義肢装具士として働く中村隆さんから義肢をめぐる現状についてお聞きしました。今回の後編では、義肢装具士という職業の魅力や人間が持つパワー、縁などについてです。
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30歳を過ぎて義肢装具士に転職「想像とは少し違っていた」
司会:中村さんが義肢装具士を目指されたきっかけを教えてください。
中村:私は今、50歳を過ぎたところですが、この職に就いたのは30歳を過ぎてからの転職組です。大学では化学を専攻して、材料の研究などをしていました。卒業後も、とある会社に就職してフラスコを振りながら物作りをしていたんです。
でも、考えるところがあって退職し、この世界に飛び込みました。子どもの頃から物を作ることが好きで、物作りに携わっていたいと思った時、この仕事を知って。義肢装具士の資格を取るには専門学校に3年間通う必要があるため、国リハが運営する専門学校(国立リハビリテーションセンター学院)に入学しました。それが33歳の時です。同級生に20歳の女の子がいたりして、私はかなり浮いた存在でした(笑)。
アンナ:専門学校は高校卒業後、すぐに入学する人が多いですもんね(笑)。
中村:そうなんです。33歳から学び直して修了する頃に、たまたま今のポストが空いたので、そのまま就職しました。ただ、実際に働き始めると、想像とは少し違っていましたね。「物を作る仕事がいい」と思って入ったのに、実際は「物を作って人を作る」職業だと分かりました。
失意のどん底で病院に来た人たちが、私の作った義手や義足を使ってリハビリをするうちにできることが増えて、どんどん生き返っていくんですよ。これってすごいなと思って、今ではどっぷりハマっています。少し生意気なことを言いますが、自分の作ったもので他人の人生が変わるなんて、こんな尊い仕事はなかなかないと思います。
アンナ:すごい! どうにかしてほしい気持ち、どうにかしたい気持ちを持った人たちの人生が、どんどん明るく開けていくわけですよね。