インタビュー

義足の球児は現在公務員 甲子園に導いた負けず嫌いの心に美馬アンナさん感動

著者:Hint-Pot編集部・佐藤 直子

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千葉ロッテマリーンズ、美馬学選手の妻・美馬アンナさん【写真:Hint-Pot編集部】
千葉ロッテマリーンズ、美馬学選手の妻・美馬アンナさん【写真:Hint-Pot編集部】

対談シリーズ第4回は義足で甲子園に出場した今治西高OB・曽我健太さんが登場

 女優・タレントとして活動する美馬アンナさんが、第1子となる男の子「ミニっち」を授かったのは2019年のこと。先天性欠損症のため右手首から先がない我が子との出会いをきっかけに、現在はスポーツを通じて健常者と障害者をつなぐ活動や、障害を持つ子どもの家族が意見交換・情報共有できる場所作りの準備を進めています。

 プロ野球の千葉ロッテマリーンズで活躍する夫・美馬学(みま・まなぶ)投手のサポートも得ながら、自身のSNSでも心の葛藤や気付き、悩みなどを飾らぬ言葉でありのまま表現しているアンナさん。そんな姿に共感したフォロワーからは、前向きに生きるためのヒントやスポーツ&障害をキーワードとした情報が寄せられることもあります。

 2月のある日、アンナさんはインスタグラムを通じて「全国には障害を持ちながら野球をしている子ども、あるいは野球をしてみたい子どもがどのくらいいるのか」と情報提供を呼びかけました。そこで寄せられたお話が、2003年夏に全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)を沸かせた球児について。その球児こそ、今回の対談シリーズにご登場いただく愛媛県立今治西高等学校の野球部OB、曽我健太さんです。

 5歳の時に事故で左足首から先を失い、義足を使うようになった曽我さん。小学3年生から野球を始め、名門・今治西高への進学後は3年生だった2003年夏に甲子園出場を果たし、強打の三塁手として注目を浴びました。卒業後も京都の龍谷大学で野球を続け、現在は滋賀の大津市役所に勤務。市役所の軟式野球チームに所属していますが、ここ2年ほどはプレーから遠ざかっているそうです。

 健常者と同じ土俵で戦い、甲子園出場を果たした曽我さんとの3回にわたる対談。前編の今回は、野球との出会い、野球やスポーツから得た自信などについてお聞きします。

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5歳から義足をつけた曽我さん「完全に自分の一部のようだった」

司会:まず、曽我さんが野球を始めたきっかけについて教えていただけますか。

曽我健太さん(以下曽我):元々、親がプロ野球をよく観ていたこともあり、子どもの頃、試合を見に連れていってもらうことがありました。後は2歳上の従兄が小学3年生から野球を始めて、それに影響されたのもきっかけの1つです。

美馬アンナさん(以下アンナ):曽我さんも小学3年生から野球を始めたそうですが、その時はすでに義足を使っていたんですよね。

曽我:怪我をしたのが5歳の時。正直なところ、怪我をしていなかった時のことを覚えていないんです。だから、活発に体を動かすようになって、野球を始めた頃には義足は完全に自分の一部のようだったので、僕は特に不自由を感じずに過ごしていました。野球を始める時も、実際に野球をしても、そんなに違和感はなかったですね。

アンナ:自分の体の一部のようになるんですね。すごい!

曽我:僕自身は特に不自由を感じずに、日常生活も体育の授業も、周りと変わりなくできていたと思います。

アンナ:先日、国立障害者リハビリテーションセンターの義肢装具士、中村隆さんとの対談で、義手についてたくさんお話しさせていただきました。その時に中村さんは「義手は手ではないから手の動きには敵わない」とおっしゃっていたんですね。もちろん、義手と義足では大きな違いがありますが、実際に使っていらっしゃる曽我さんにとって義足は体の一部として感じられるって、本当にすごいと思います。

曽我:感じ方は人それぞれだと思います。僕の場合は、足首の少し上のところまで自分の脚が残っているので、そう感じやすいのかもしれません。膝がなかったり、大腿部が短かったりしたら、また感覚が変わってくると思います。僕は義足をつけている中でも、比較的軽い方だと感じています。