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義足の球児は現在公務員 甲子園に導いた負けず嫌いの心に美馬アンナさん感動

公開日:  /  更新日:

著者:Hint-Pot編集部・佐藤 直子

オンラインで対談した美馬アンナさんと元甲子園球児の曽我健太さん【写真:Hint-Pot編集部】
オンラインで対談した美馬アンナさんと元甲子園球児の曽我健太さん【写真:Hint-Pot編集部】

制服が半ズボンで義足に注目 からかわれないためにした努力とは

アンナ:体の一部のようになっているとはいえ、やはり義足特有の悩みやご苦労もあると思います。

曽我:子どもの頃は年々成長するので、すぐに義足が合わなくなってしまいました。行政の補助を受けて年に1度、新しい義足を作っていましたが、1年経つと当然身長が伸びるのでまったく合わなくなってしまうんです。早く作り替えたいと思っても、自費負担ではかなり高額になるので、そうそう買い換えられるものでもありません。

アンナ:サイズが合わない義足で野球をするのは大変でしょうね。野球をする子どもたちは投球や打撃、守備で頭を悩ませるものですが、曽我さんは別の悩みにも直面していたんですね。

曽我:そうですね。義足を履いて長時間プレーすれば当然、接合部が蒸れます。動き自体はそんなに気になりませんでしたが、子どもながら義足に対する周りの目は多少気になっていて。当時つけていた義足はソックス状のカバーをつけてから履くタイプだったので、時間が経つと汗で蒸れてカバーがビショビショになってしまうんです。

本当は衛生と気持ちの両面から、途中でカバーを取り替えるべきなんですが、練習をするグラウンドに更衣室があるわけでもない。みんなの前でなかなか義足を外して履き替えることもできず、一日中ビショビショのまま過ごして家に帰るという形でした。

アンナ:やっぱり人前で履き替えるのは勇気のいることですよね。

曽我:はい。また、蒸れると皮膚が柔らかくなるので、義足との接合部がすれることで皮がめくれやすくなり、結構傷だらけになっていましたね。傷になったところに絆創膏を何重にも貼って、1日2日経つと傷の部分の皮が固くなり、ようやく痛みがなくなる。それまではひたすら我慢でした(苦笑)。

アンナ:何とか自分で工夫しながら、我慢も経験していたんですね。私が同じくらいの年齢の時は何も考えていなかったし、我慢することもなかったと思います。

子どもの頃にそういう経験をした曽我さんと私では、大人になってからの引き出しがまったく違ってきますね。ただ、それでも野球を続けたのは、やっぱり野球が好きだったからですか。

曽我:そうですね。それもありますし、今、改めて振り返ってみると、人に負けたくない気持ちもあったと思います。怪我をしたのは幼稚園の時で、親も義足を隠すように長ズボンをはかせていたので、そんなに目立つことはありませんでした。

でも、小学校の制服が半ズボンだったので、当然ながら義足が人の目にさらされてしまう。初日からみんなが集まってきて、僕の足をジロジロ見て……。僕はそれが嫌だったので、ちょっと手を出してしまうことも多かったんです。

アンナ:子どもだと言い返せなくて、そうなってしまいますよね。

曽我:ジロジロ見られたり、からかわれたりしないためには、そうしてくる子たちより何でもできないといけない。自分が他人よりもうまくできることで認められる。そういう立場にならないと現状を打破できない。そう思って、野球を始めてからは努力もそれなりにして、何とかチームの中心選手になることができました。

そうすると野球仲間から認めてもらえましたし、そこから派生して周りからも「すごい人だ」という目で見てもらえるようになった。野球だけではなくて、体育の授業でも他の人に負けないように取り組んでいましたね。