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有村架純の“とらえどころのなさ”が光る ついに完結した『るろうに剣心』での“役割”とは

公開日:  /  更新日:

著者:関口 裕子

剣心が長く秘めてきた“巴の像”と観客の心を結ぶシーン

(c)和月伸宏/集英社(c)2020映画「るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning」製作委員会
(c)和月伸宏/集英社(c)2020映画「るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning」製作委員会

 そんな巴と剣心の出会いはこうだ。幕末のある日、人斬り抜刀斎こと緋村剣心(佐藤健)の降らせた血の雨を、酒処で助けられた礼を言いに追ってきた若い女性、雪代巴(有村架純)が浴びる。巴は、剣心が斬り捨てた侍の返り血を浴びるが、叫び声を上げることも、顔色を変えることもなく、お礼を述べて卒倒する。これは武士の娘として“理性を失わない”ようしつけられた者である証。

 だが、江戸時代も末期になると、武士とはいえ刀を抜いた経験のある者は少なかったと聞く。調査を徹底的に行い、史実にこだわることで知られる吉村昭の歴史小説「桜田門外ノ変」(新潮文庫刊)には、“雪の上にたくさんの指や耳が散らばっていた”というような描写がある。刀を鞘から抜いた緊張感から誤って自分の指や耳たぶを切り落としてしまう者が続出したからなのだそう。

 刀を腰に下げていた者でもそうなのだ。女性ならなおさら。抜刀した武士が街角で切り結ぶところに遭遇したら、恐ろしさに腰を抜かしてしまうだろう。いくら日々、新選組が討幕派の志士を追い回していた京都市民だとしても、平常心は保てまい。その上、返り血まで浴びたとしたら……。

 この冒頭のシーンで大友監督の意図が少し見えたように感じた。有村がここで行ったのは、観客の心に剣心が秘めてきた巴の像を結ばせること。これまで見たことのない有村の演技だった。

剣心の“心”が巴と重なる瞬間に浮かび上がるシリーズのテーマ

 剣心の寝泊まりする長州藩士の拠点に連れ帰られた雪代巴は、そこで働きながら一層人斬りの任務に励む彼の身の回りの世話をする。そんな巴がある日、剣心に問う。「平和のための戦いなど本当にあるのか」と。

 剣心は「時代を進めるためには、誰かが太刀を振らねばならない」のだと答えるが、それはたぶん自問していたテーマでもあったのではないか。同じことを考える者。剣心はかすかに驚きの顔を見せる。剣心の“心”が巴と重なったのだ。

「聖戦なんてありはしない」。そう言ったのはカンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールを受賞した今村昌平監督だ。11人の監督によるオムニバス『11’09”01/セプテンバー11(イレブン)』(2002)の中で語られる言葉だが、『るろうに剣心』シリーズのテーマもたぶんそれなのだろう。

 近代国家を誕生させるために始まった維新だが、戦いに参加した者の思いは大きく3つに分けられる。1つ目は徳川時代の膿を出し、本気で新時代を切り拓こうとした者。2つ目は時代が変わる節目に浮上する勝機を見つけられた者。3つ目は単純に刀を振り回したかった者。

 1つ目の理由で参戦した者は剣が強くとも弱い。それは“個”だからだ。2つ目の理由で参加した者は勝つための戦術、仕組みが見い出せたから。それぞれの思惑でチームに参戦しているから強い。3つ目の刀を振り回したいだけの者もそこに加わるだろう。勝機が商機につながった“仕組み”は資金や暴力を得て、より巨大なものへと成長していくから。

 剣心は1つ目のカテゴリーに属する。そして巴に言われるまでもなく、刀では目指す方向へと導くことはできず“平和のための戦いなどない”と気付いている。そんな彼に残された武器は何か? たぶん敵対する者との対話なのだろう。逆刃刀は、剣心の口を封じようと襲いかかる相手を対話へと導くための道具だ。