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JOC最年少20代理事へ 高橋成美さんが語る“失敗を失敗ととらえない”生き方

公開日:  /  更新日:

著者:坂本 俊夫

カナダでスケートに専念 大ケガで一度は引退を考えたことも

団体戦が加わり「日本のために頑張ってみたい」と思ったという【写真:山口比佐夫】
団体戦が加わり「日本のために頑張ってみたい」と思ったという【写真:山口比佐夫】

 中学2年生の時に帰国すると、高校受験を控えており家が裕福というわけでもなかったので、両親からはスケートをやめるよう言われました。でも、私は続けたい。そこで条件になったのが、渋谷教育学園幕張高校に合格することです。当時の学力では難しいレベルでしたが、必死で勉強して合格し、スケートを続けられることになりました。

 もちろんどうしてもペアをやりたかったのですが、日本はコーチも少なく、スケートリンクを貸し切らなければ危険な一方で競技人口は多いため、練習の場がなかなか確保できませんでした。

 そんなこともあって、自らカナダ人の有名なコーチに連絡を取り、夏休みにトライアウトという形でカナダに行くことにしました。そして、そのままカナダの高校に入学し、カナダ人とペアを組んでスケートに専念することに。

 その後は5年間、日本代表として世界選手権に出場を続け、2012年には銅メダルを獲りました。ですが「これからもっと上に」という時、練習中に左肩関節脱臼と右の膝蓋骨分裂という大ケガをしてしまいまったんです。

 医師からは「もう大技ができる体ではないよ」と言われ、一度は引退を考えました。けれどもちょうどその頃、ソチ五輪で新しく団体戦が加わることに。ペアがないと総合力が落ちてしまうので「日本のために頑張ってみたい」と考えるようになり、同じ思いを持っていた木原龍一選手とパートナーを組み、リハビリにも取り組んで出場することができました。

 五輪後も競技を続けていましたが、思うように体が動かなかったり何度もケガをしたりといったことが続き、「練習をしてもこれ以上は上手にならない」と思い引退を決意しました。2010年には慶應義塾大学に入学し、休学しながら選手活動を続けていたため、きちんと卒業したいという気持ちもありましたね。大学は今年の3月に卒業しました。