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「奇跡」と「幼なじみ」で泣ける映画3選 毎年末に“全米が泣く“不朽の名作とは?
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映画とは“心を描くもの”なのだと痛感…『フォレスト・ガンプ 一期一会』
空き家の窓を目がけて石を投げる幼なじみというとロバート・ゼメキス監督『フォレスト・ガンプ 一期一会』(1994)を思い出す。これも“奇跡”についての物語だ。
米南部アラバマ州グリーンボウに住むフォレスト・ガンプ。軽度の知的障がいを持ち脚装具を着けた彼は、人生の中で多くの人々との出会い、生きる意味と糧を見つけていく。そんなフォレストの運命の相手はジェニー。彼女と出会ったのは、誰もがフォレストを隣に座らせまいとしたスクールバスの中。ジェニーは彼に自分の隣の席を指し示した。
フォレストは、兵役、卓球、エビの会社ババ・ガンプ・シュリンプの経営、アップルへの投資などで奇跡的な成功を収める。だが、この映画の“奇跡”とは、知名度や経済力など物理的な貢献を期待するものでなく、彼が誰と出会ったかということなのだと思う。
公開当初は、リンドン・ジョンソン大統領からフォレストへの叙勲や、ジョン・レノンとの共演など当時の最新技術で合成された映像に気を取られてしまった。しかし、30年弱経った今観ると映画とは“心を描くもの”であり、技術を見るものではないことを痛感する。この映画は、米国が米国を隣の席に誘えるかという寛容さを問うものなのだろう。
それらはベトナム戦争やウォーターゲート事件、IT化の波と、大きな変化を遂げた1940年代から80年代の中で描かれる。ジェニーは大人になると町を離れ、その時代の中に飛び出して冒険し、それらを終えたところでフォレストの元に戻る。
そこに席があると知っているからだが、当たり前のようにその席に座ることはできなかった。それは父親からの暴力の記憶を拭うため、自分の価値を自身で発見する必要がジェニーにはあったからだ。
散歩の途中、かつて実父のDVに苦しめられていたジェニーは、廃墟となった家に自分の靴を投げ付ける。両方投げてしまうと今度は石を投げ、石も尽きると泣き崩れた。フォレストはジェニーと一緒に石を投げたかったが、石は“意外と落ちていないこと”を知る。
2人は長い時間をかけ、遠回りして隣の席に座る。そんな奇跡が描かれていることに気付くまでに観客も同じくらい時間を要する作品。だからだろう。その分、空の色であるとか緑の茂る様子であるとか、思いがけないところで泣けてしまうのだ。