カルチャー
中谷美紀が“演じるべくして演じた”女性総理 45歳の今だからこそ違和感がない理由とは
公開日: / 更新日:
テレビ番組で近頃、国際結婚したドイツ人ビオラ奏者との馴れ初めや、オーストリアと日本を行き来する生活の実際などをオープンに語り、話題になっている中谷美紀さん。アイドルとしてデビューしましたが、1993年のドラマ「ひとつ屋根の下」(フジテレビ系)出演を機に俳優としても注目を集めました。現在までに映画やドラマ、舞台、ナレーションなど多分野で活躍を続け、今年は夫との暮らしを綴った「オーストリア滞在記」(幻冬舎文庫刊)も出版。そんな中谷さんの映画最新作は、今まさに“旬の話題”でもある女性総理大臣モノです。「才色兼備」という言葉がぴったりの中谷さんだけに、満を持しての作品だったのかもしれません。映画ジャーナリストの関口裕子さんに解説していただきました。
◇ ◇ ◇
“総理大臣”という一つ突き抜けた役 役の中の居住まいに変化が
ある年齢を越えるとオファーされる役がほぼ“母親”となるのが、洋の東西問わず、女性俳優の悩みと言われる。そんな中、“総理大臣”という一つ突き抜けた役を演じることになったのは今年45歳の中谷美紀。
「ハルモニア この愛の涯て」(1998・日本テレビ系)、「ケイゾク」(1999・TBS系)、「永遠の仔」(2000・日本テレビ系)、連続ドラマW 東野圭吾「片想い」(2017・WOWOW)、「Followers」(2020・ネットフリックス)など個性的な主人公を演じてきた印象は強いが、『総理の夫』で演じた日本の総理大臣役はロールモデルが存在しない分、どの役よりもユニークかつ難しかったと思う。でも、これまでと少し違うのだ。中谷の役の中の佇まいが。やわらかいというか、余地があるというか。
中谷はスカウトによって芸能界に席を置いた。最初はアイドルグループの一員として活動。大ヒットドラマ「ひとつ屋根の下」(1993・フジテレビ系)で俳優デビューしてからも音楽活動は継続した。「アルバイト感覚で始めて、こんなに長く続けるはずではなかった」と語っているが、当時の中谷はアイドル活動をベースに顔と名前を売る、いわゆる芸能界デビューの王道路線を歩んでいたのだと思う。
そうしながらも、たぶん中谷は、“今自分が行っている活動は何のためのものであり、最終的にどこに行き着くものなのか?”という疑問を抱えていたのではないか? 大人の敷くレールへの疑問。ティーンエイジャーだった頃の記憶を引き出せば、誰しも思い当たる感覚かもしれないが。
中谷の美しさはデビュー当初から群を抜いていた。だがたぶん本人は美醜を取り沙汰されることを一番嫌悪していたのではないか。評価されるなら、先天的な要因ではなく、自身が創り出す本質的かつ内面的なもので判断されたいと。
「女優」として火がついた19歳 そして分岐点となる名作へ
そんな中谷が19歳の時に出会ったのが利重剛監督『BeRLiN』(1995)。「女優というお仕事に対して火をつけられたような感覚がありました」と語っている。
ダブル主演の相方は永瀬正敏。当時の永瀬は、デビュー作『ションベン・ライダー』(1983)で相米慎二演出の洗礼を受け、『ミステリー・トレイン』(1989)でジム・ジャームッシュ監督とコラボ、山田洋次監督『息子』(1991)で映画賞を総なめにし、林海象監督のオフビートな探偵もの『私立探偵 濱マイク』シリーズで独特のポジションを形成したユニークな存在だった。
永瀬は、当時やや閉塞感が漂っていた“芸能界”に自由度をもたらした若手。一つひとつ自分なりの答えを得ようとしながら、仕事に取り組んでいたであろう中谷にとって、良くも悪くもそんな永瀬の影響は大きかったのではないかと思う。
そんな永瀬がJ-PHONE(現ソフトバンク)のCMや『Beautiful Sunday』(1998)で組んだ中島哲也監督との作品で、中谷は映画賞を総なめにする。今なお多くのファンを持つ『嫌われ松子の一生』(2006)だ。
『嫌われ松子の一生』は、最初の不幸が不幸を呼び、連鎖したかのような人生を送った女性、松子の幸せを問う物語。演じた中谷は、一切の虚飾を捨てて松子の人生に付き添った。だが、中島監督の演出は降板も考えたほど苛烈を極めたという。それはアイデンティティ崩壊を招くほど。「映画に対して抱いていた憧れや理想がすべて崩れ去ってしまった」と吐露している。
『松子』前、『松子』以降と分けて考えるほど価値観が変わったという中谷。「若い頃は仕事は苦しくなかったらいけないものだと思っていた」が、つらさは回避しても良いもので「価値観は一つではないことを学んだ」と、「今自分ができることをそれ以上も以下もなく注いで、観客のために楽しめる作品を作る」と言っている。
そんな『松子』以降の仕事で注目すべきは舞台だ。中谷は2011年、30代にして初めて舞台の仕事に臨んだ。カナダ人俳優ロドリーグ・プロトーとの2人芝居で、1人3役を演じた「猟銃」。演出もカナダ人のフランソワ・ジラールが手がけた。芝居は中谷のモノローグで進行し、クリアなセリフの言い回しが絶賛された。