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健常者のまま生活していたら何も知らなかった…東京パラ銅メダリストの思いと将来の夢

公開日:  /  更新日:

著者:Hint-Pot編集部・佐藤 直子

車いすラグビー日本代表の倉橋香衣選手とオンライン対談した美馬アンナさん【写真:荒川祐史】
車いすラグビー日本代表の倉橋香衣選手とオンライン対談した美馬アンナさん【写真:荒川祐史】

対談シリーズ第7回 車いすラグビー日本代表・倉橋香衣選手

 俳優・タレントの美馬アンナさんは、プロ野球の千葉ロッテマリーンズで活躍する夫の美馬学投手とともに、日々の新たな発見を楽しんでいます。夫妻の日常を彩るのは、先天性上肢形成不全のため右手首から先がなく生まれた2歳の男の子「ミニっち」。好奇心旺盛で教えなくても工夫して何でもやりのけてしまう愛息の姿から、多くのことを学んでいるそうです。

 そんな美馬家の日常が誰かの勇気や希望になることを願い、SNSやメディアを通じて発信を続けるアンナさん。息子の出産をきっかけに、健常者と障害者が互いに理解を深める社会作りの一助になりたいと、さまざまなジャンルの方と対談して学びを深めています。

 今回の対談相手は、車いすラグビー日本代表として東京パラリンピック(以下東京パラ)で銅メダルを獲得した倉橋香衣選手(AXE所属)。倉橋選手は大学時代のトランポリン事故が原因で頸髄を損傷し、四肢に障害を持つようになりました。後編ではスポーツと障害、将来の夢について語っていただきます。

◇ ◇ ◇

「怪我をすることがなかったら、本当に何も知る機会がないまま終わっていた」

美馬アンナさん(以下アンナ):倉橋さんはご自身が車いす生活となる前と後で、障害に対する考え方や見方は変わりましたか。

倉橋香衣選手(以下倉橋):自分が車いすに乗るようになって「いろいろな人がおるんやな」と、より強く感じるようになりました。怪我をする前も障害の有無で区別するタイプではなかったと思いますが、知らないことが多すぎましたね。今でも知らないことばかりです。

 自分の手足が動かなくなってからは四肢障害について、車いすラグビーを始めてからは四肢障害にもいろいろな状態があることを知りました。入院中は頸髄損傷だけではなく四肢切断・欠損も同じ病棟だったので、さまざまな障害がある人に出会いましたね。多様な生活の仕方があると知り、さらにもっと知りたいと思えたのは、車いすになったり入院したりした経験があったから。怪我をすることがなかったら、本当に何も知る機会がないまま終わっていたと思います。

アンナ:それは私も同じです。息子を産む前から、国籍の違いや障害の有無を気にしたことはありませんでした。ただ、実際に自分の息子に手がないと分かった時は「あれもできない、これもできない」と考えて、かなり落ち込みましたし、身近に手がない人がいなかったので「これはどうしたらいいんだろう?」と悩んだ時期もあって。

 でも、息子の出産をきっかけにいろいろな人がいると分かったり、違いは個性だと思えたり、いろいろな方と出会う機会が生まれたり。もし息子が健常者として産まれていたら、今頃何を考えて生きていたのか。知るきっかけを与えてくれた息子、周りで支えてくださる皆さんに助けられて、私は今、前を向いて生きているなと感じます。