仕事・人生
健常者のまま生活していたら何も知らなかった…東京パラ銅メダリストの思いと将来の夢
公開日: / 更新日:
スポーツは子どもたちが多様性について学ぶきっかけを得るツール
倉橋:入院している時、生まれつき手がない20代の女性が新しい義手を作るために入院してきたことがありました。その方が事故で腕をなくしたばかりの40代の方に「私はこの障害と20年以上も付き合っているんで、何でも聞いてくださいね!」と頼もしく話しかけたんです。その姿を見て「いいな、私もこんな風になりたいな」と感じたことがあります。
アンナ:私も息子にそうなってほしいですね。障害についてよく知らない人には「何もできない」と思われて生きていくと思いますが、逆に「何でもできるんだぞ!」という姿を世界に見せつけてほしい。ただ、子どもが自分の手を肯定的に思えるようになるためには、私たち親の力が必要だと思うので、私たちが障害としっかり向き合って嘘のない真実を伝えていきたいと感じています。
倉橋:その20代女性は学生時代、健常者と一緒にバレーボール部に所属していたそうです。何も知らない私から見れば「腕がないのにバレーボールってどうやるの?」となるけれど、本人は「別に普通だよ」と当たり前のように言うのを聞いて、かっこいいと思うのと同時に「そうか、何に対しても別にかまえる必要はないんだ。何でもやればどうにかなるものなんだ」と強く感じたことを覚えています。
アンナ:私も毎日息子を見ながら思います。結局、行動に制限をかけてしまうのは大人だと思うので、多少怪我をしてもやりたいことはやらせています。息子は今2歳。ここから気持ちや考え方が形作られていくので、倉橋さんのようにポジティブで前向き、かつたくましく育ってもらいたいと思っています。
東京パラで活躍する選手の姿を見ながら、「どうしたらこういうメンタルの持ち主に育つのだろう」とすごく考えました。ただスポーツが好きというだけではなく、親としてすごく勉強になった時間でしたね。
倉橋:私も他の選手の姿を見て「どうしたらこんな風になれるんやろ?」と思いました。
アンナ:東京パラがいろいろな人に考えるきっかけを与えてくれたように、スポーツは子どもたちが多様性について自然と学ぶきっかけを得る一つのツールになるかもしれません。
健常者と障害者が互いに理解を深めるきっかけに…スポーツが持つ可能性
倉橋:スポーツは障害について理解を深める一つのきっかけになる可能性を持つと感じています。ただ、東京パラの前に甥と姪を体育館に連れていき、みんなで車いすに乗って鬼ごっこや簡単なゲームをした時、知ることよりも勝負に夢中になりすぎて揉め始めてしまいました。
学ぶのか、楽しむのか、勝負するのか、目的をはっきりさせておかないと、障害者と健常者が互いに認め合って理解するには至らず、何も伝わらないまま嫌な思い出だけが残る可能性もあります。甥と姪はその後、「次はいつになったら車いすに乗れるの?」と聞いてきたので、少なくとも車いすに対する抵抗感はなくなったようですが。
アンナ:そもそも子どもたちがパラスポーツはもちろん、スポーツ全般にふれあえる場所が少ないですよね。人とのぶつかり合い、チーム内での助け合い、試合での勝ち負けといったことを学ぶきっかけとなる場所がもっとあるといい。子どもの心を育てる意味でも、スポーツはすごく大事だと思います。
倉橋:地域や学校で体験会やお話をする機会をいただいた時は、車いすラグビーのことも知ってほしいし、「いろいろな人がいるんだよ」ということを知ってほしいと考えています。私は健常者の頃、車いすの人や障害がある人に気付かないまま普段の生活を送っていました。ただ、それは知るきっかけがなかったからだと思うので、今度は自分が子どもたちに知るきっかけを与えられたら……という希望を持ちながら参加しています。
アンナ:子どもにも大人にも、その思いはたくさん伝わっていますよ! 本当にすごい影響を与えています。