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カルチャー

なぜ今『ウエスト・サイド・ストーリー』なのか? 90歳の米大物俳優が再登板した理由

公開日:  /  更新日:

著者:関口 裕子

28歳で『ウエスト・サイド物語』に 米アカデミー賞助演女優賞を受賞

 そんなスピルバーグ版『ウエスト・サイド・ストーリー』にモレノも出演している。モレノは、マリアやアニータと同じように、プエルトリコからの移民だ。

 モレノの母親はお針子、父親は農業を営んでいたが、彼女が5歳の時、母親は娘と2人で渡米し、ニューヨークに移り住む。モレノはほどなくダンスを習い始め、11歳の時にスペイン語の声優として芸能の道へ。13歳でブロードウェイの舞台(「Skydrift」)に立ち、ハリウッドのスカウトの目に留まり、ロサンゼルスに拠点を移す。

 だがどの出演作品も、演技やダンスの才能よりも、長い脚と顔が決め手となった典型的なヒスパニック系女性の役。初めてもらった納得のいく役は、ジーン・ケリーの薦めで出演したスタンリー・ドーネン監督のミュージカル『雨に唄えば』(1952)の無声映画スター、ゼルダ・ザンダーズだという。同作の冒頭、劇中劇の『宮廷の風雲児』のプレミア上映会場にしゃなりしゃなりと一番乗りするスター、ゼルダの作り込んだ演技は強く印象に残る。

 1956年のウォルター・ラング監督、ロジャース&ハマースタインの音楽による『王様と私』で演じたタプティム役も、モレノの評判を押し上げた役の一つだ。タプティムはビルマから連れてこられた王(ユル・ブリンナー)の妾の一人だが、物語の鍵を握る重要なキャラクターだった。

 そして28歳で、満を持しての『ウエスト・サイド物語』と出合う。アニータはモレノにとってロールモデル(行動や考え方の模範となる人物)となるキャラクターだったという。「威厳と自尊心を持ち、言うべきことを大胆に表現する初のヒスパニック系の女性の役だった」と。ロバート・ワイズとジェローム・ロビンズがブロードウェイ・ミュージカルを映画化したこの作品で、モレノは米アカデミー賞助演女優賞を受賞した。

『ウエスト・サイド物語』で米アカデミー賞助演女優賞を受賞したモレノ。右はベルナルド役で助演男優賞に輝いたジョージ・チャキリス【写真:Getty Images】
『ウエスト・サイド物語』で米アカデミー賞助演女優賞を受賞したモレノ。右はベルナルド役で助演男優賞に輝いたジョージ・チャキリス【写真:Getty Images】

 やっとステレオタイプの役から脱却できるかと思ったが、映画ではなかなか果たせなかった。しかし、『ウエスト・サイド物語』での米アカデミー賞に続き、子ども向けミュージカル・コメディ番組「ザ・エレクトリック・カンパニー」(1972)のアルバムでグラミー賞、舞台「The Ritz」でトニー賞(1975)、子ども向け番組「マペット・ショー」(1972)、探偵もの「ロックフォードの事件メモ」(1977)でプライムタイム・エミー賞の4冠を受賞し、史上3人目のEGOT(4冠受賞者)となった。