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食した郷土菓子は約500種類! 自転車で50か国超をめぐったパティシエが見つけた世界

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著者:Hint-Pot編集部・出口 夏奈子

料理の世界からお菓子の世界へ 「郷土菓子研究社」が誕生した理由

 子どもの頃からお菓子作りに興味があったという林さん。家にあったレシピ本を見ながら自然とチーズケーキを焼くような少年でした。しかし、当時やりたかったのは料理だったそうで、「イタリア料理とかかっこいいなあ」と高校卒業後は料理の専門学校に入学。

 卒業後はイタリア料理店で働いたものの、「世界の郷土菓子を作りたい」という思いが芽生え、19歳の時に現在の「郷土菓子研究社」を立ち上げました。

「自分も誰も知らない世界のお菓子をインターネットで調べたら、結構出てくるんですよね。世界にはクラシックで歴史のあるいろいろなお菓子がたくさんあるのに、当時自分が住んでいた京都には、そんなに変わったお菓子屋さんがなかったんです」

 それならば自分がやろう。世界各国の料理なら専門店はたくさんありますが、世界のお菓子を売るお店は意外と少ないことに気付きました。また、知人のお祝いとして何か変わったものを作ろうと考えたところ、自然と世界のお菓子にたどり着きます。それを面白く感じました。

旅先で撮った写真を見ながら当時を振り返る林さん【写真:Hint-Pot編集部】
旅先で撮った写真を見ながら当時を振り返る林さん【写真:Hint-Pot編集部】

 さらに、海外への関心が元々高かったことも大きな影響を与えました。高校生の頃には、1週間ほどイタリアを旅した経験が。また、専門学校の卒業旅行ではフランスへ、そしてお菓子を作り始めて2年ほど経った21歳の頃にもお金を貯めて3か月ほどヨーロッパを旅しました。イタリアから始まった旅はスイス、フランス、スペイン、ポルトガル、オーストラリア、チェコ……と続き、夜行列車に乗っては翌朝に次の街に降り立つという日々を繰り返したそうです。

「ヨーロッパのいろいろなお菓子を毎日食べていました。お菓子を調べてから行く街を決めたり、人と会う約束に合わせて移動したり、鉄道のスケジュールに合わせたり。あまり行程を決めていなくて、その都度で『こっち行こうかな』『ここを船で移動したらモロッコに行ける』みたいな感じで、自由気ままなフラフラとした旅です。100万円貯めていましたが、3か月できれいに使い切りました」

 当時はまだ、郷土菓子一本で食べていけるほどのキャリアではありませんでした。知り合いのカフェやバーで、ちょっと変わったお菓子を作ったり卸したりして生計を立てていたそう。しかし、この3か月の旅で日本では絶対に出会えないお菓子や体験と出会えたことで、「郷土菓子を本格的にやろう」と覚悟を決めます。