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安定の秘書職から紆余曲折…ヒット作連発の女性監督 独自視線作った個性的すぎる経歴

公開日:  /  更新日:

著者:関口 裕子

お笑いの道を目指すも…「惜しいことに才能がなかった(笑)」

 大九監督が大学時代に所属したコント集団には、お金を出し合い、下北沢や高円寺で定期公演を打つなどお笑いの世界に対する下地があった。だが、プロの世界に入るのはまた別だ。挑戦のきっかけはスクールだった。

「辞めた少し後、人力舎が『スクールJCA』というお笑い養成学校を始め、1期生を募集しました。若かったし、お笑いファンとしては挑戦するしかない。受かったら面白いコントを作って、時が来たら結婚して、出産もして……そんな風に漠然と考えていました。でも社会はそんな甘いものじゃなかった。結婚も出産も用意されているものじゃない。たとえ時が来ようとも」

 そこで、「実社会は学生が思うものとは違うと大学を出て初めて気が付いた」という。大学では確かに建前をたくさん教わるが、社会で“本当に必要なこと”を学ぶ機会は少ないかもしれない。

「芸人の世界は、ウケた時の高揚感にたちまち魅了され、抜けられなくなるディープなもの。何でも『何かしながら』と考えていた私は、ピンネタを何本か作って『これで生きていくんだ』とやっと専業を見つけたつもりになっていました。でも、惜しいことに才能がなかった(笑)。何本かウケたものの、コントを作り続けることができない。どう頑張ったらいいのか分からなくて、大学のキャンパスで発声練習したりと無駄な努力に時間をかけて(笑)」